この空のなくなるその日まで、空を―――空を、よく見ておくといいよ―――(草稿)

・日常性と異常性の程よく同居した自動的な人間を実現するイマの同期性自我拡大症候群と、C†Cにおける群青色との相似について、みたいな話をした。

・直接的な前作ネタとか世界観の繋がりを示唆する設定と考えるよりは、ロミオの人の問題意識にふさう異常性の描写だったと見做す方が感覚的にはしっくりくる。

・C†Cにおいては剥き出しの自我の表出=ヒトを象る檻の解れを招く群青色が社会通念としての人間の在り方に相応しくないものとして扱われ、そこからの脱却が志向/試行されていた。翻ってイマにおいては、同期性自我拡大症候群は健全なヒトの世界を終わらせる終末の音であり、それは王たる彼らがヒトに触れる際に不可避に発生する侵略の罪を否応なく想起させる鏡としても機能していた。

・人間らしさ、とは人間の総体により機能的に/曖昧に指し示される傾向であり、また人間とは人間らしさという傾向により意識下にせよ無意識下にせよ強く規定されざるを得ない存在である。部分と全体は相補であり、鶏と卵の先後は断定できない。大局としてうねりを起こしながら、人間の世界は回る。

・そのような状況に於いて、流動性と根拠の薄さに注目した時、人間らしさとは単なる制度であると言える。制度に自己を寄せることの困難さを描いたのがC†Cであり、制度に寄せ切った自己を人間と呼べるかどうか、という苦悩を描いたのが最果てのイマである。届かない者の慟哭と、全てを見通してしまった者の絶望と。求めるものが正反対な彼らは、互いの姿を観ながら羨望を覚える。

 

・すげー久しぶりに断定調で書いてみたけど、断定の快楽<不誠実さの齎す胃の痛さ なのであんまり精神によくねーなーと思いました。僕の場合は。

・なんか理路おかしいけど、どこがおかしいのかわかんねーなので一旦寝るとのことです。眠いと本当に文章がひどくなるな。たぶんフリークスの自動性に言及しないとダウト。

やまなしいみなし

・人間は生まれながらにして人間という制度に組み込まれていく。種としてのヒトと制度としてのヒト、って括りを設定すると解りやすい(あまりにも粗雑な二分法ではあるが)。

・「人は生まれながらにして人ではない。生きることで人になっていくのだ」という趣旨のARMSにおける名言は、このような意味において、限りなく呪わしく響く。いや、あれは種として変質しつつも精神的には人間という制度に寄り添って居たかった者たちへの言葉だから全然間違っていないのだけれど、この台詞だけを切り取って敷衍していくと大層な邪悪が顕現するよね、という。

芥川龍之介の河童とか正にそういう話ですよねー。

部長は射精管理が下手そう

・続き。

・衣ちゃんが意外と宿敵感ないので戸惑った。というのは、外部から界隈を眺めた感じ、天江衣はものすごいラスボス概念を纏っているように見えていたんだけど、実際に漫画を読むと立ち位置的には中ボスっぽかった、ということで。

・描写の水準でも設定の水準でも超強いんだけど、背負わされた役割としては最後に立ちはだかる類のそれじゃないよな、という。で、そのようなものとして扱う類の二次解釈との間にすごいズレを噛み込んでいるように見える。

・まあ魅力的なキャラなので、ポテンシャルを全部発揮させたいと考えるのは至極自然なことではあろう(高校部活ものの基本は一期一会であり、敵キャラの役割はしばしば主人公の部分変形を手助けすることにある―――飽くまでも装置として機能してしまう)。そういう意味で、このキャラを序盤に突っ込むのかー、とは思った。

・関連して。能力の優劣が恣意的に説明できそう、とは聞いてたんだけど、本当に何の基準もないのが素敵。少なくとも、強さのインフレに関してのスマートな解決法と見做せる(この解釈はたぶん最も貧しい類)。

ワハハ先輩と幼馴染になりたかった

・という訳で咲の既刊を読了。

・のどっちが全然性的じゃないのですげーなーと思いました。入浴シーンの連発とか顔を赤らめさせたりとか、そういう処理がいやらしさに全く繋がっていない。画面の白さ/描線の機械的な感じと相俟って美しくはあるんだけど。

・数年前の薄い本界隈でかなり人気があるキャラという印象だったので、その理由が知りたかったんだけど、内在的に読み込むのはちょっと難しいかな……。巨乳だから、が十分な理由になりうることは及川さんの件を見ればまあ納得できなくもないんだけど。一応アニメを観てみないと。

・咲さん。そりゃあ魔王にされるわ、といった印象で。欠落は容易に強さとして読み込まれる。あと、強くなる描写が強さの獲得じゃなくて障害の排除で統一されてるあたりラスボスの風格。

・部長。えろい。咲さんとのどっちはセッススとか概念上できなそうなんだけど(実際、薄い本でもだいぶ無理があるように見える(何が実際なんだ……))、部長はふつうにエンジョイセッススが成立しそう。

・まともに駆け引きの成立し、かつ少女が参加しても違和感のない四者競技ってそんなにないんじゃね? と気付く。少女たちの部活ものとして麻雀を題材にしつつ、麻雀がインハイで人気競技となっているような世界観を採用するってのは、そういう意味ですごくシャープ。シャープすぎてマジかよという感もあるのだが。

・とりあえず出かけるので一旦切る。

すっぽんぽん←えろい

・東方の異質さはごった煮であることそれ自体に由来する―――ごった煮になることが異質さの証左である。

・兎耳セーラー服とか脇巫女服とかオールドスクール魔法遣いドレスとかメイド服とか黒ゴスとか節操なさすぎだろ、などと言及するのではなく、そこに何ら文脈も法則性も拘りもないという事実の方に注目していくべき、とか。

・ファッションに疎いマンなので足元がお留守な実感はありつつも気にせず書くと、(いわゆるお洒落としての)ファッションとは他人に見せることのみならず、自分をある文脈の只中に位置づけることをも企図した営為ないし文脈のはず。つまり、総体として流動的に変化していくファジーな価値体系に沿って自らを演出したり、また時には自らの装いによって動的に価値体系を更新、結果として再帰的に文脈を強化したりするもの、であるはず(要するに社会的な、と纏めるとだいぶ胡乱)。

・で、そのような文脈を共有しないという一点について、東方の世界は自由であるといえる。善悪や正誤に徹底して拠り所を持たせず、ひたすらに個人間の断絶と価値の相対化によって構築された世界は、ファッションという文脈すらも共有することを拒んだ……などと認識しておくのがいいのかな。流行りなど存在しないし、おかしな服装というものもない。おかしい、と指摘することは可能だが、それは相手から全く同じ重さの指摘を同時に受けることと同義で、どこにも基準は存在し得ない。

・もちろんゲームは制限があったればこそ面白いのであって、この種の自由さが「ファッション」という文脈の楽しさを最大化するかどうかは全く別の話だし、ぶっちゃけつまらないのだろう、とも思う。ファッションに興味ないので実感が伴わないけれど。大切なのは、服飾という要素についても、幻想郷では徹底して価値体系が無効化されている、文脈が否定されている、ということ。世界観の違いが、異常な状況を成立させている、という認識。

・防寒を含む機能としてのファッションについては完全に切り離して語ってるので適宜補ってほしい(怠慢)。

栗は神の食べ物だってシスターが

Marronから出ている竹井10日作品の肝は、狂騒じみた楽しい日常が各人の努力によって支えられていること、だと思う。

・彼らは基本的に聡明であり、コントめいた会話や無茶な催しは意識して振舞った結果として成立する。より楽しく、より自由に、と日々を作っていく意識がそこにはある。

秋桜にせよおねきゅーにせよひまチャきにせよ、過去に大きな悲劇が存在し、その悲劇が楽しい現在の破れ目から覗き、試練を突き付けられるような構造になっている(おねきゅーはちょっと特殊だが)。悲劇は常に過去にあり、楽しい現在はそうあれかしと意識された結果、成立しているものでしかない(人の努力なしに楽しい日々が常態化している世界観ではないし、努力なしに楽しく在れるものとして、人間が定義されている訳でもない)。だから容易に、悲しかった過去が楽しい現在に影を落とす。過去が追い付いてくる、といった感覚。だから、成長や決別を経て悲劇の重力から解放された時、希望に満ちた未来がやっと到来する。

・彼らの振る舞いからは時折、ひどく冷静な意志が覗く。秋桜でもおねきゅーでもそうだったけれど、特にひまチャきはそれが顕著で、酷薄な現実への、醒めた視線が時折見える。誰もが悲劇を経験した世界で、彼らの脳天気さは、絶望に抗うためにある。

・そういった、喪われるものへの哀惜に裏打ちされたお祭りのような日々を描いた物語としてひまチャきが本当に好きなのだが、あんまりそういう褒め方を見ないので、なんか変な読み込み方してるのかなあという気はしている。

・そもそもMarronゲーについて長文書いてる人をあんまり見ない。はい。

 

・こう書いておいて何だけれど、鎌倉タケルとかはリアルに頭おかしい気もする……。おねきゅー自体がなんかもうイカれた代物なので三作括るのがムリなんじゃねという気は正直。

・展開が似ているといわれるONEと秋桜だけれど、上記のような意味では後者はだいぶsimplifyされている。過去の悲しさを忘れて今を楽しむことが楽しい今との決別に繋がってしまう(盟約が発動する)ONEと、呪いの発動が終盤のフックとしてのみ機能する秋桜とでは、後者の方がより単純な処理ではあるはず。

・単純な処理を志向したというよりは、物語を閉じるためのギミックとして主人公の変質が要請されたのでは、とか。何の根拠もないんだけど。

・実際、オミくんが変質しないままきちんと話を閉じるのってだいぶ難しいように感じる。主人公を関わらせず、ヒロイン側のみ強制的に時間を経過させるためのギミック、というのは幾ら何でも結果論に過ぎるかなあ。

いろいろ備忘

・ねむたみを抑えて要点だけ残しておく。要点じゃないかも。知るかよ。

・ガルパン2話、生徒会長にまーりゃん先輩の面影をなんとなく見るの巻。まーりゃんの傍若無人さ/破天荒っぷりは権力と結びつかないことで十全に魅力として機能するのだな、などと考える(生徒会OGだが、権力の行使はさーりゃんフィルターで阻止される)。まーりゃんドリルキーック。かわいい。

・さーりゃんはオークに種付けされてる時が一番かわいい。

・ビビオペ。アローンって名称は単一生命としての使徒とも掛けているのでは、と某氏。ありそう。そういえばアローン出現の様子については描写がないんですよね。破壊を撒き散らしながら次元エンジンに寄っては来るけど、どこからどうやって現れるかはわかんない。

・作中の美少女設定の有無と実際に画面なり紙面なりで僕らが見る彼女たちの可愛さの齟齬について―――相対的に美少女ではないとされる志熊理科長谷川千雨の話。立ち位置の変化と語り部としての役割。

・ジャンプのラブコメ、と言われて思い浮かぶのが軒並みお色気エロコメだった件。例の三作は割とどれも新鮮だった? だとしたらなんで気付けなかったのかしら?

・パロディを含有する東方アレンジからパロ元へと遡行することの難しさ。経路ではなく、モチベーションの話として。