世界は見る人のイメージで変わるんだって。知ってた?

スクールカーストもの、と評されるようなある種の構造を持った物語においてはまずリア充とDQNをどうやって接続するか/或いはそもそも接続しないのかって点に注視せざるを得ない、というのはつまり僕の問題意識もとい執着がそこにしかないから。

・悪い奴が悪く在ってくれることの幸せ、というのがあって。滝本竜彦がまず浮かぶ(ルーツは筋肉少女帯かな)。絶望に足ると客観的に見られる状況は絶望に浸ることを許されるという一点についてのみ救われていて、これが普通の状況で絶望しているのであれば、その救われなさは更に深みを増す。

・俺修羅のピュアさとはまちの邪悪さとAURAの無慈悲さ。AURAのは最後の最後にどんでん返しをすることでその無慈悲さ/正しさ/精確さが一気に陳腐に見える、という辺りが気に食わないんだと最近ようやく把握できた。