誰かがくれた 優しい言葉が

リトルバスターズの主題歌と実際の物語とのズレ、というものについて考えていたことがあって。アニメ版を観てちょっと考えが進んだのでメモしておく。

・前段。「ひとりが辛いから ふたつの手をつないだ ふたりじゃ寂しいから 輪になって手をつないだ」「みんなで作った輪は大きくなりすぎて 時にはきみがどこにいるのかもわからなくなって」といった歌詞は、本編とうまく対応しない。ここで歌われているのは孤独な二人を始まりとした大きな輪と対の関係性の変質であって、この二人に恭介/理樹/鈴の誰を代入しても、綺麗に嵌ることはない。この三人の相互の認識は集団の大きさに埋没するような性質のものではないし、そもそも力関係が対等とは言い難いからだ。

・これは多分、初期の物語では理樹と鈴が対等だったとかそういうアレなんじゃないかなー、という気がする。或いは『Hanabi』を参照するに、猫が好きで「きみ」に護られてばかりだったのは理樹くんの方だった、のかも知らん。つまり鈴の方が先に手を取った、とゆー。

・Hanabi原型説を採用すると(推測に推測をエビデンス無しで重ねるのもどうなんだかなーって感じだけれど)、初期鈴の庇護者としての強さだけを分離して恭介を作り、本来の理樹の性質を鈴に転化させたのかな、という気がする。

・でもだったら「今度は僕があの夏へ連れ出すから」を鈴がやってくれなかったのは何でなんだろうという……。

・実際のところ、リトルバスターズで最も判断が難しいのが鈴の存在のような気はしていて。極論、鈴がいなくても物語をそう変わらない筋立てで組むことは可能なように思えて、じゃあ、何のために? と考えていきたい訳なんだけども―――。

・脱線したので戻す。

・最も強く浮いているのが「ここからは一冊しか持っていけないよ それでよかったのかい?」という一節で。「きっとそれが幾千の力にもなり どんな夢も断てる気がするんだ」と前置きした上で「僕らみな同じ夢を見ていた 過ぎ去る1ページの」と後に続くのだから、おそらく当初は、誰か一人を選べば他の皆は……という構図の物語だったのではと思う。作中でのループを用意しない(プレイヤーのみが繰り返す)となると数多のバッドエンドの山を乗り越えてハッピーエンドを祝福できるかって話になるし、虚構世界を二重にして内部でループさせました、というのもそれはそれで(目的がヒロインとの脱出なのであれば)本編よりも悪趣味だよ恭介氏という感じになってしまうので、ここらへんは要考察かな。

・描かれなかったものを適当に予想しといて考察ってのも。

 

・……というところまでゲーム版については考えていたのだけれど、アニメ版の人形劇会で小毬さんの描いた絵本がたくさん出てきた―――画面に明示的に示されたことが非常に気になって。あれってもしかして、小人さんの話だけじゃなく、リトルバスターズについての他の絵本もまた描かれていた、って伏線なんじゃないかしら、とか。

・”一冊”を個々のルートやキャラクターではなく、リトルバスターズの命運、物語そのものを包括したものとして解釈しているとすれば。たとえば、Refrainのラストでそのような絵本―――全ての小人が共に助かるような物語の存在が示されたとしたら。特に後半、原作の筋をアニメのために読み替える手腕の光ったスタッフなのだから、主題歌の違和感を最後の最後に回収してのける、くらいはしてくれてもおかしくはない。

・という感じで、大仰な予想をぶち込みつつRefrainを待ちます。待ち遠しいなあ。