時にはまじめな話を

・サークルの後輩が「テクニカル系のプログレメタルで唐突さを志向しすぎたものは聴いていて全く気持よくない」というようなことを言っていて、なるほどなーと思った。

・逐一期待に応えるのがある種のクサメロであるとするならば、あらゆる期待を裏切り続けるのがある種のプログレメタルである、とか。

・あらゆる期待を裏切ることは、期待を裏切ってくることを常に予期される―――予想/予知されることをも意味する。或いはストレートに、期待される、と言ってもいい。仮に(原義の)音程或いはリズムに関して裏切られることにカタルシスが発生するとするならば、常に意識の裏を張るような音楽は常にマンネリズムを湛えた音楽としても機能しうる、と言える。

・たとえば、和声的に気持ち悪いとされる進行を常にとり、どの要素間をとっても一定のリズムとして解せないような音楽を自動的に生成したとして、おそらくそれは「予測不可能な」ものではあっても、「予測不可能ゆえの驚きに満ちた」ものではない筈だ、といったような話。

・実例。Meshuggahが90年代後半から00年代中盤にかけ、一聴して違和感を憶えさせるようなポリリズムでの疾走から、極めて長い時間的領域におけるポリリズム―――微妙なズレを抱いたポリリズムによるうねりを特色とするように変化したことは、VoivodやMekong Deltaに見られた技巧的なスラッシュを好む向きにとっては残念なことだったと聞くが、しかし違和感の表出による快楽の追求に関しては非常に理に適った方向転換だったのではと思う。

・上のMeshuggahの話はすごい胡乱なので信じないほうがいい。いやマジで。

 

・蛇足。「期待」とは何か、何をもって快いとするか、という方向にロジックをずらす……つまり、期待に応える、という概念の射程を増やすような語りも可能ではあろうが、ぜんぶ相対化しても仕方ないのでやらない。……どうしたって「気持ちよさ」という感覚は共有不可能であって、そこに関しては杜撰なロジックの誤魔化しを自覚的に用いる方がまだしも有意義な話に繋がりやすかろうと思う。

・トライアドが気持ち悪く感じる人にとっての音楽、とか考えるのは実際に有用だとは思うけれど(成立するのかどうかは知らない)。―――周波数の整数比を心地良いと感じるような人間には、想像もつかない世界。