余は如何にして嫁コレをぶん投げし乎

・長いわりに内容がないです。個人的なメモにちかい。

・嫁コレつらいでござるという話。少なくとも無課金では。

・どういうゲームかというと、キャラを撫でたり(画面をスリスリする)キスしたり(口のあたりを押す)話しかけてみたり(適当なテキストをうつ)喋ってもらったり(獲得したボイスを再生する)一緒に写真をとったり(キャラの立ち絵がプリクラの枠のごとく写真に入る)することでキャラごとの親愛度やプレイヤーの経験値を上昇させ、いろんな要素―――公式が特に売りにしてるもので言えば、録りおろしボイスなど―――をアンロック、またプレイヤー間で誰がいちばん嫁(公式名称。あしからず)を愛せているかの競争をするゲーム……っぽいのだが、どうにもつらい。

・親愛度上げの過程は作業感に溢れる。ボイス再生においては既に何度も聴いた台詞を律儀に最後まで聴かねばならず、話しかけてみても入力内容に全く依らずランダムで定型文を返してくる。なでたりキスしたりしても絵は変わらず、パターンの少ないランダム台詞が表示される。写真は論外。

・ぶっちゃけ3Dカスタム少女なり伺かなりを突っついたり撫でたりしてる方が100倍たのしい。

・まあ反応そのものが楽しくなくてもよい―――作業なら作業でもよい、のだが、作業に要する時間が全体的に長いこと、複数のキャラに対して作業を行うと画面遷移の回数が非常に多くまた遷移のたび読み込みを挟むことが、致命的に作業の快適さを低減させているように感じる。楽しくない作業は過程として割り切って、解除される諸要素にのみ期待を寄せようと思っても、テンポの悪さがそれを阻む。いっそ一定時間に一定回数だけ嫁を表示ないしは選択する―――「構う」という概念を純化した操作を加える―――ことで親愛度をためていく、たまごっちよりもシンプルなシステムの方が在り方にそぐうものだったのでは、とも思う。

・そのような苦行を乗り越えたからこその信仰表明、という話に持っていくことは可能だろうけれど、個人的にはどうかなーと思う。人間の側に制限を課して祈りのハードルを物理的に引き上げ、その祈りの価値を相対的に上昇せしめる、ってのは違うんじゃないかなー。むしろ万難を排して個々の祈りの限界を追求してこそじゃないかと。彼女らの「ために」祈るのではなく、僕らはただ祈らねばならない。

・話が盛大に逸れた。

・システムと改善案の話。話しかける機能はSiriやしゃべってコンシェル並の精度とリソースを備えれば数千人単位で人間が駄目になろうし、写真を撮る機能にはAR撮影を実装すれば一緒に過ごしている感がハネ上がり、なでる/キスに関しては部位ごとの当たり判定と立ち絵の変化を実現するだけで覿面に触れ合ってる感が出るはず……などといった改善案はたぶん中の人も真っ先に考えたことなんだろうなーとは思う。

・そういうことしなくても声優の録りおろしボイスと人気作からの積極的なキャラクター誘致で戦えると考えたからこそのチープなシステム/膨大なキャラ数のゲームなのだろう。仮にアニメーションとか実装したらどんだけキャラが減るのかな、とか考えると中々に難しい話。一部キャラの人気なさとか見るに、どう考えても数を撃つこと前提に作ってるんだよなあ。鉄板とは言い難いチョイスも散見されるし。システムを極限までスカスカに保ったからこそハイペースで新キャラを導入できているのだろうし。

・再脱線。「このキャラは『俺の嫁』として成立するのか?」という疑問の生じる瞬間がしばしばあって、たとえばクー子とかイカ娘ちゃんとかアリシアさんとかそれぞれ別の意味でかなり無理があると思うんだけど、うまいこと処理できてるのなら是非見たい。でも親愛度上げるのは超つらいので見れない。しぬ。

・課金してお金ぶっ込んだら初期から一気にバリエーション増える(はず)のでおそらく楽しかろうとは思う。課金者とは見えてる世界が根本的に違うはず、といったお話でもあり。

 

・以下電波でゲソ。

・限定的なコミュニケーションに於いては人間もキャラクタも中国人の部屋に過ぎない。或いはベンディングマシンの比喩でも構わないけれど。そのようなモデルで考えた時、有限回の働きかけに対する応答が想定の範囲内で規則的/機械的であればそれは思考が介在していないとの印象を与えることになる―――応答が都度異なる発声やしぐさを伴わないキャラクタにおいては一層厳しくそのように判断される(逆に言えば、電球の不意な明滅や喋る自販機の発話タイミングの妙に「人格」を誤認してしまうことも充分にありうるだろう)。

・そこで、伺かはリソースを時間的に増加させていくことでキャラクタの実在を仮構した、といえる。読み切れない―――読み切らせないテクスト/話題の集積と、応答に対する反応。その人格は幻想だが、同程度には人間の人格だって幻想だ。