ファジー言及

・人間は人間として生まれてくるんじゃなくて、生きながら人間になっていくものなんだよ、ってARMSに出てきたすごい婆ちゃんが言ってた。生物種としてのヒトと在り方としてのヒトとの対置、と纏めていいのかしらん。

・後天的に獲得されるべきヒトとしての資質を決定するのはヒトとしての社会の在り様であり、ヒトとしての社会の在り様を決定するのは個々のヒトの在り様である。要素と総体とが相互に規定し合う螺旋構造を形成しながら、世界は進む(―――たとえば、社会の変質によるヒトの定義の散逸/変遷を描いたのが最果てのイマだろう)。

・人退は5巻までしか読んでないのでどこまでこの種の問題意識が押し進められたのかよく知らないんだよなー。たとえば登場人物が名前で互いを呼び合わないという事実について、もちろん描写を制限した結果にすぎないと見做すこともできるけど、名前というラベリングが必要なのはどのような社会であるか、とか考えると文化人類学っぽい仕掛けの一環として読めそうな気がしません?(文化人類学って言っておけば格好がつくと思っているオタクの人)

・話は飛びますが、たとえば麻枝准の描く人々は人間として生きることにものっすげーコストを払ってるように見える/或いはそのコストにも関わらず人間のフリすらできてない、ように見えることがあって。ロミオのそれが限定的な状況で(SF的なギミックを用いて)人間という制度の恣意性を暴くものであるとするなら、何のフックもなしに人間の自明性を疑うだーまえは別方向にヤバいよねーとか……ごめん印象論。

・更に話を飛ばして中二病(つーか邪気眼)。自己をキャラクタ化するという意味ですげー強いのみならず、上記したような人間の在り方の恣意性/人間として在ろうとする意志の問題に振る舞いレベルで常に触れねばならないあたり激アツです(文章が乱れてきた!)。

・「なぜ僕らは中二病患者のごとく自己を仮構することができないのか?」という疑問、或いは煽り。

・だからインターネッツ上で邪王炎殺黒龍波を撃ち合えるような世界線に収束させられなかった時点で僕たちは圧倒的に負けてるんだよ! みたいな与太にあと5手くらいで繋がるかなー。