すっぽんぽん←えろい

・東方の異質さはごった煮であることそれ自体に由来する―――ごった煮になることが異質さの証左である。

・兎耳セーラー服とか脇巫女服とかオールドスクール魔法遣いドレスとかメイド服とか黒ゴスとか節操なさすぎだろ、などと言及するのではなく、そこに何ら文脈も法則性も拘りもないという事実の方に注目していくべき、とか。

・ファッションに疎いマンなので足元がお留守な実感はありつつも気にせず書くと、(いわゆるお洒落としての)ファッションとは他人に見せることのみならず、自分をある文脈の只中に位置づけることをも企図した営為ないし文脈のはず。つまり、総体として流動的に変化していくファジーな価値体系に沿って自らを演出したり、また時には自らの装いによって動的に価値体系を更新、結果として再帰的に文脈を強化したりするもの、であるはず(要するに社会的な、と纏めるとだいぶ胡乱)。

・で、そのような文脈を共有しないという一点について、東方の世界は自由であるといえる。善悪や正誤に徹底して拠り所を持たせず、ひたすらに個人間の断絶と価値の相対化によって構築された世界は、ファッションという文脈すらも共有することを拒んだ……などと認識しておくのがいいのかな。流行りなど存在しないし、おかしな服装というものもない。おかしい、と指摘することは可能だが、それは相手から全く同じ重さの指摘を同時に受けることと同義で、どこにも基準は存在し得ない。

・もちろんゲームは制限があったればこそ面白いのであって、この種の自由さが「ファッション」という文脈の楽しさを最大化するかどうかは全く別の話だし、ぶっちゃけつまらないのだろう、とも思う。ファッションに興味ないので実感が伴わないけれど。大切なのは、服飾という要素についても、幻想郷では徹底して価値体系が無効化されている、文脈が否定されている、ということ。世界観の違いが、異常な状況を成立させている、という認識。

・防寒を含む機能としてのファッションについては完全に切り離して語ってるので適宜補ってほしい(怠慢)。