悪魔でいいよ

・なのはちゃんがすげえ解釈しにくいキャラですよねーという話とか。叩き台として、或いは1つの視座として。

・はやてちゃんはあの雪の日の別れの体験から誰も失わずに済む世界を求めるに至り、フェイトそんは出自の特殊さから子供に愛情を注ぐことに意義を見出すに至った。この二人に関してはルーツとなる体験と後の振る舞いがわかりやすく一致しているため(悪くすれば無惨な単純化に堕するとしても)一貫した解釈が容易なんだけど、なのはちゃんはそこらへん、かなり難しい印象で。

・家族の中での微妙な疎外感、友人二人の優秀さと引き比べての劣等感、といった負の要素の存在により、新たに出会った己の才能―――魔法の力に強い拘りを持つに至った、と解釈することは可能ではある。しかしながら、その解釈の通用する射程って(時間的に)非常に短いんじゃね? という気もしていて、無印中盤あたりからは既に、別方向に完成された精神を有してしまっている印象が強い。これがA's、StSともなれば、既にそれら原体験から説明するには異質すぎるロジックを有したキャラクタとなってしまっている。

・つまり、『魔法少女リリカルなのは』を始めるにあたり魔法と彼女とを結びつける契機として家族との隔意や本人の不全感は十全に機能していたけれど、それら要素が後々になるまで常に利いていたかというとそうは見えなくて、だからなのはちゃんを動かすロジックがどこで/どのように変遷したのかを考える必要があるのでは、と。そして、僕はその変遷についてさっぱり理解できていない。物語を始める仕掛けが途中で破棄され、高町なのはという英雄が完成した瞬間を、僕は観測できていない。

・だいぶ恣意的にチューンされた脳味噌から更に恣意的に情報を引っ張ってきた結果がこれなので、いずれ無印からStSまで通して精査したいとの想いはあるとかなんとか。