与太度高し

・なんで『ぱにぽに』が好きなのか、12巻までしか持ってない人間が語るという挑発行為染みた営為。

・舞台となる桃月学園は空間的に有限で、一方でキャラクタは増え続けて、結果としてキャラクタ同士の関係性だけが網の目のように広がってゆく。関係性は展開の可能性を生み、有限性に終わりを約束されたはずの未来は正しく指数関数的にその枝葉を伸ばす。そうして生まれた楽園は驚きに満ち溢れ、氷川へきるの引き出しの多さも相俟って、汲めども尽きぬ驚きを湛える。

・つまりクラス/部活/委員会/仲良しグループといった(広い意味での)所属を軸とした系と系とを線で結ぶような構造ではなく、桃月学園という場のみを軸としてキャラクタをそのまんまブチ込み、あらゆるキャラクタ間に関係性を生まれさせる構造をとることにより、内部でほとんど完結した世界でありながら、作品世界の可能性が一向に減じないどころか加速度的に増加するという恐ろしい事態を可能としている、ということ。

・要するに巻を追えば追うほどに作品世界が密度を/強度を増し、今まで見られなかったものがどんどん生まれてくるのが本当に気持ちいいんだよーということ。

・上で書き忘れたけど、ベッキーが出ない話の多さもすごい。重要なのはレベッカ宮本が存在する桃月学園という場であり、といった。

・たとえば『SKET DANCE』においてはスケット団の圧倒的な包容力=ツッコミ役としての機能と咬み合わない限り画面に登場できないキャラが結構存在するよね、とか(つまりスケット団による窃視或いは伝聞からの想像を伴わない形でゲスリング部の連中が活躍しうるか、といった話)。

・そのような(コミュニティオリエンテッド(胡乱な造語)ではない)強度をもつキャラクタの成立のために学園モノとしての長所を捨てている部分もあって、しかしそれは上記のような強みによって完全にカバーされているように僕には思える。

ぱにぽに好きな人の信仰表明、あんまり見たことない。わたし、気になります