ぬー
・カテゴリが乱立しカテゴリとしての用を為さなくなる事例>げーむ
・BO2買いなよ的抑圧が外圧としても内圧としても高まっており、つらい。
・動画を観たり実際やってる人にいろいろ聞いたりした感じ、やっぱりBO→MW3という流れの中でユーザー側から指摘されてきた事柄に関してだいぶ繊細に考えてきてるのかなー、と武器カスタマイズの豊富さや死にアタッチメントの減少、射程/集弾性のチューニングなどに関して考える分には思えた(でも相変わらずマップ構造を調整の対象として含めるのすごい下手っぽいので、やや失望するところがなくもない―――或いはそういう発想がない?)。
・ゴーストの発想が普通におかしい。近距離特化のSMGとシャッガンを強化調整した上で狭く曲がり角の多いマップを実装、そして「動いていれば問題ない」ゴースト、ってのはどういう意図なのか読めない(上記したマップ云々というのはつまりそういうことで)。芋ゴーストよりもアクティブなゴーストの方が数倍鬱陶しい、はずなんだけど。
・ユーザーの声が届いてないのか僕がマイノリティなのかは知らん。
・Treyarchについて。彼らは絵に描いたような悪質プレイヤーを想像することはできても、与えられた条件から最適っぽいカスタマイズを考案、敷衍、一般化させる類のプレイヤーが忌避される文化圏に関しては想像できないのではないか、という与太。つまりその、芋のような悪質プレイヤーの概念として既に存在するものを排除する仕組みは作れても、自分たちの作ったゲームシステムから生まれうる類の新たな邪悪の存在に関しては(これを邪悪って言ってしまうことには大きな問題があるんだけども)思い至らない、或いは単純に御しきれないのでは、という。
・あと解除レベル55ってのは普通に愚策で、そりゃあプレステージトークン使うに決まってるでしょう、とゆー。結果としてシステムが初心者レイプの助けをしているという構造は何も変わっておらず、だったら初心者を助けるためにも若いレベルでアンロックさせるのが筋じゃねーの、という気はする。
なぜワイはCuPじゃなかったんや、と思う瞬間もある
・アイドルとは概念であり、在り方であり、つまるところ所作の産物である……といった見地から、安部菜々さんじゅうななさいは極めてアイドルという存在の特異さ―――或いは本質、と言ってもいいけれど―――への注視を促しやすいキャラクタであると見做せる。もとい、そう見做すと僕が幸せな感じになるのでそうしたい。
・通常、実年齢とアイドルとしての魅力は直結する(「年齢の割に○○である」といったギャップもまたその実年齢ゆえの魅力の範疇にある、と考える)。しかし、安部菜々は実年齢を秘匿している。幼少組のあどけなさ/或いは「大人びた」魅力、中高生の発揮する思春期の少女性、年上組の大人の女性らしさ/或いは「子供っぽさ」、そのような自動的に付与される類の魅力を、安部奈々は有さない。彼女の魅力、思春期の少女として偽装する際の魅力は、アイドルとして振る舞うというただそのことに拠ってのみ保証される。その意識的な営為、存在の形としてのアイドルを体現している様が、たまらなく素晴らしいと思う。アイドルとしての振る舞いが可視化されにくいモバマスにあって、徹頭徹尾アイドルとしてしか存在しないのが安部菜々である、と言える。
・*ギャップ萌えに関して言及しない(モバマス世界では少女として扱われているものとして扱う―――煩雑!)のは安部菜々のアイドル性にのみ注目した/したい、から。もちろん画面のこちら側ではギャップに注目してprprするのが半ば主流であろうとは思うし僕もそういうのは大好物である。
徒然
・あはーとか言ってる感じの琥珀さんがあんまり好きじゃなくてですね、とかなんとか。いわゆる黒幕キャラとしての琥珀さん。
・今のメルブラに搭載されてるか知らないんだけど、初代の頃の琥珀さんは一定時間以上しゃがんでると遠野家の転覆乗っ取り計画について喋り始めるという隠し要素を持っていて、その台詞がすげー嫌いだったんですね。いや内容自体はネタとして読める程度のものではあったのだけれど、琥珀さんがそれを言う、というのがどうしても許容できなかった。
・秋葉と琥珀さんは加害者の身内と被害者という関係であり、主従でありながらも明確な罪がそこに所在する。黒幕ネタの類がシャレになってくれる(・・・・・・)のは状況が許すからであって、琥珀さんが遠野という血に言及する構図はひたすらに生々しい。これを聞いた秋葉が普段のようにお嬢様キックで琥珀さんを蹴れるか、と考えると……それは言ったら駄目でしょう? という気分になるよなあ。
・一番の原因は琥珀さんルートが汚されたように感じてしまうから、ではあるのかもしれないとか思いつつ。向日葵の笑顔の先に続くものが「この琥珀」じゃなかったん? といった。
余は如何にして嫁コレをぶん投げし乎
・長いわりに内容がないです。個人的なメモにちかい。
・嫁コレつらいでござるという話。少なくとも無課金では。
・どういうゲームかというと、キャラを撫でたり(画面をスリスリする)キスしたり(口のあたりを押す)話しかけてみたり(適当なテキストをうつ)喋ってもらったり(獲得したボイスを再生する)一緒に写真をとったり(キャラの立ち絵がプリクラの枠のごとく写真に入る)することでキャラごとの親愛度やプレイヤーの経験値を上昇させ、いろんな要素―――公式が特に売りにしてるもので言えば、録りおろしボイスなど―――をアンロック、またプレイヤー間で誰がいちばん嫁(公式名称。あしからず)を愛せているかの競争をするゲーム……っぽいのだが、どうにもつらい。
・親愛度上げの過程は作業感に溢れる。ボイス再生においては既に何度も聴いた台詞を律儀に最後まで聴かねばならず、話しかけてみても入力内容に全く依らずランダムで定型文を返してくる。なでたりキスしたりしても絵は変わらず、パターンの少ないランダム台詞が表示される。写真は論外。
・ぶっちゃけ3Dカスタム少女なり伺かなりを突っついたり撫でたりしてる方が100倍たのしい。
・まあ反応そのものが楽しくなくてもよい―――作業なら作業でもよい、のだが、作業に要する時間が全体的に長いこと、複数のキャラに対して作業を行うと画面遷移の回数が非常に多くまた遷移のたび読み込みを挟むことが、致命的に作業の快適さを低減させているように感じる。楽しくない作業は過程として割り切って、解除される諸要素にのみ期待を寄せようと思っても、テンポの悪さがそれを阻む。いっそ一定時間に一定回数だけ嫁を表示ないしは選択する―――「構う」という概念を純化した操作を加える―――ことで親愛度をためていく、たまごっちよりもシンプルなシステムの方が在り方にそぐうものだったのでは、とも思う。
・そのような苦行を乗り越えたからこその信仰表明、という話に持っていくことは可能だろうけれど、個人的にはどうかなーと思う。人間の側に制限を課して祈りのハードルを物理的に引き上げ、その祈りの価値を相対的に上昇せしめる、ってのは違うんじゃないかなー。むしろ万難を排して個々の祈りの限界を追求してこそじゃないかと。彼女らの「ために」祈るのではなく、僕らはただ祈らねばならない。
・話が盛大に逸れた。
・システムと改善案の話。話しかける機能はSiriやしゃべってコンシェル並の精度とリソースを備えれば数千人単位で人間が駄目になろうし、写真を撮る機能にはAR撮影を実装すれば一緒に過ごしている感がハネ上がり、なでる/キスに関しては部位ごとの当たり判定と立ち絵の変化を実現するだけで覿面に触れ合ってる感が出るはず……などといった改善案はたぶん中の人も真っ先に考えたことなんだろうなーとは思う。
・そういうことしなくても声優の録りおろしボイスと人気作からの積極的なキャラクター誘致で戦えると考えたからこそのチープなシステム/膨大なキャラ数のゲームなのだろう。仮にアニメーションとか実装したらどんだけキャラが減るのかな、とか考えると中々に難しい話。一部キャラの人気なさとか見るに、どう考えても数を撃つこと前提に作ってるんだよなあ。鉄板とは言い難いチョイスも散見されるし。システムを極限までスカスカに保ったからこそハイペースで新キャラを導入できているのだろうし。
・再脱線。「このキャラは『俺の嫁』として成立するのか?」という疑問の生じる瞬間がしばしばあって、たとえばクー子とかイカ娘ちゃんとかアリシアさんとかそれぞれ別の意味でかなり無理があると思うんだけど、うまいこと処理できてるのなら是非見たい。でも親愛度上げるのは超つらいので見れない。しぬ。
・課金してお金ぶっ込んだら初期から一気にバリエーション増える(はず)のでおそらく楽しかろうとは思う。課金者とは見えてる世界が根本的に違うはず、といったお話でもあり。
・以下電波でゲソ。
・限定的なコミュニケーションに於いては人間もキャラクタも中国人の部屋に過ぎない。或いはベンディングマシンの比喩でも構わないけれど。そのようなモデルで考えた時、有限回の働きかけに対する応答が想定の範囲内で規則的/機械的であればそれは思考が介在していないとの印象を与えることになる―――応答が都度異なる発声やしぐさを伴わないキャラクタにおいては一層厳しくそのように判断される(逆に言えば、電球の不意な明滅や喋る自販機の発話タイミングの妙に「人格」を誤認してしまうことも充分にありうるだろう)。
・そこで、伺かはリソースを時間的に増加させていくことでキャラクタの実在を仮構した、といえる。読み切れない―――読み切らせないテクスト/話題の集積と、応答に対する反応。その人格は幻想だが、同程度には人間の人格だって幻想だ。
「ありがとう―――それと、ごめんね」
・奈須きのこの文体の話、に反応して自分のルーツであるところの月姫の文体を確認、びっくりするほど月姫っぽい文を書いている現状に気付いて無事死亡した。
・とりあえず月姫の文体は全体として(歌月以降に比べると)こなれてない―――句読点のルールが特に揺れてる―――っぽいのだがまあ当時のインタビューとか見るだにデスマーチの末の産物らしいのでむべなるかなというか。琥珀さんルート終盤、なぜか説明台詞がブチ込まれた瞬間を初めて見た時にはああ世界の強度が下がってしまったと嘆いたものだったけれど、あれ多分もう丁寧に書いてる時間が無かったんじゃないでしょうか。確証はないけど。
・そもそも月姫の肝は文体の速度操作にある(と僕は思った)。リリカルな語りと山場で速度を増す文体/ロジック、そしてそれらを魅せるための(全)画面の文字構成、といった辺りが強みなんじゃないかな。だから世界の焦点が琥珀さんから外れた(また自分語を遣う……)瞬間に悪い意味での異界感が生まれてしまった、と。
・そもそもあのシーンに違和感を憶えたって言ってる人を自分以外に見たことがない問題。
時にはまじめな話を
・サークルの後輩が「テクニカル系のプログレメタルで唐突さを志向しすぎたものは聴いていて全く気持よくない」というようなことを言っていて、なるほどなーと思った。
・逐一期待に応えるのがある種のクサメロであるとするならば、あらゆる期待を裏切り続けるのがある種のプログレメタルである、とか。
・あらゆる期待を裏切ることは、期待を裏切ってくることを常に予期される―――予想/予知されることをも意味する。或いはストレートに、期待される、と言ってもいい。仮に(原義の)音程或いはリズムに関して裏切られることにカタルシスが発生するとするならば、常に意識の裏を張るような音楽は常にマンネリズムを湛えた音楽としても機能しうる、と言える。
・たとえば、和声的に気持ち悪いとされる進行を常にとり、どの要素間をとっても一定のリズムとして解せないような音楽を自動的に生成したとして、おそらくそれは「予測不可能な」ものではあっても、「予測不可能ゆえの驚きに満ちた」ものではない筈だ、といったような話。
・実例。Meshuggahが90年代後半から00年代中盤にかけ、一聴して違和感を憶えさせるようなポリリズムでの疾走から、極めて長い時間的領域におけるポリリズム―――微妙なズレを抱いたポリリズムによるうねりを特色とするように変化したことは、VoivodやMekong Deltaに見られた技巧的なスラッシュを好む向きにとっては残念なことだったと聞くが、しかし違和感の表出による快楽の追求に関しては非常に理に適った方向転換だったのではと思う。
・上のMeshuggahの話はすごい胡乱なので信じないほうがいい。いやマジで。
・蛇足。「期待」とは何か、何をもって快いとするか、という方向にロジックをずらす……つまり、期待に応える、という概念の射程を増やすような語りも可能ではあろうが、ぜんぶ相対化しても仕方ないのでやらない。……どうしたって「気持ちよさ」という感覚は共有不可能であって、そこに関しては杜撰なロジックの誤魔化しを自覚的に用いる方がまだしも有意義な話に繋がりやすかろうと思う。
・トライアドが気持ち悪く感じる人にとっての音楽、とか考えるのは実際に有用だとは思うけれど(成立するのかどうかは知らない)。―――周波数の整数比を心地良いと感じるような人間には、想像もつかない世界。
ダニー! グレッグ! 大丈夫か!?
・システムの難易の基準が出稼ぎ先で見てきた範囲内での相対評価、という時点で限りなく胡乱なのだが(神バハ・星矢・烈火)とりあえず覚え書きとして。或いは叩き台。
・モバマスは育成と進化のシステムを極めて簡素なものに止め、一人のアイドル育成に要する時間を低減することにより、個別のアイドルよりはアイドルの集団―――グループを完成させることにプレイヤーの意識を割かせるように作られている、と見なすことができる。たぶん。
・神バハとかものすごい面倒くさくて、最強パラを実現させるためには相当の工程を経ないといけないっぽいんですね(多数の同カードを全工程においてそれぞれ最大まで育てねばならない)。なので、どういう経路を辿ったか……どこで妥協したかによって呼び名が変わり、覿面に市場価格が変化する(らしい)。ところがモバマスだと、金とNアイドルはレア度に応じてそれなりの量消費するとはいえ、かなりシンプルに育成が終了できてしまう。その際、掛けるコストと得られるパラメータとを天秤に掛けた場合、だいたい即特訓とMMM育成の二択となる。半端な育成はコストに見合わない、はずなので。たぶん。要検証。
・ともかく。二枚をMAX-MAX同士で特訓して育てれば最大パラ、が実現できてしまうシステムであり、半端な育成がコスパ的にも市場価値的にもあんまり意味を持たないシステムらしい、とは言えそう。でまあ何が言いたいかというと、そうやって育成に掛かるコストを低減することにより、「誰をどのように育てたか」ではなく、「誰と誰と…どのようなキャラたちを育ててきたか」を問われる環境に仕立てたことが、かなり良い感じにソーシャルゲーのシステムと噛み合ってるんじゃねーかなーとかそういった感じのアレで。一気に緩んだ。はい。
・いやゆるソーシャルゲーにおける育成の複雑化って結構面倒臭いはずで、何故かと言うと、複雑である―――多数の工程を踏まされるってことは、その労苦に応じたパラメータの上昇を伴わないと非常に納得いかないものになってしまいがちだから。アホみたいに餌を注ぎ込んでもノーマルは所詮ゴミ、ってのは流石に萎える。しかし、これらのソーシャルゲーは基本的にトレーディングカードなので、弱小カードがレアカードを駆逐できてしまっては非常に困る。そこの上下関係は崩してはならない。たぶん育成がめんどいタイトルは弱小カードの側を切り捨てることで成立してるんじゃないかな(上位カードは成長率そのものを高くする―――格差を広げる)、と思うんだけどあんまりエビデンスがない。まあそういうものだと仮定して。
・上記を前提として考えると、コスト比という絶対的な差はあれ、そもそも育成に掛かる絶対的な労力が少ないことや、特定キャラの栽培に代表される人海戦術(?)の強力さから、誰を育てるかではなく、誰を揃えるかが重要になっている―――というのは割と強いポイントだと思った訳です。世界のデザインとシステムのデザインが噛み合ってる、とか言ってもいい。
・そもそもプレイヤーの意志の介在するポイントが極端に少なくかつ戦術性の薄い対戦育成ゲーとか(相当のアクロバットをかまさない限り)成立する訳がねーのでデッキ構築の方に注力できる仕様にした方が楽に決まってるよね、と一息で適当に要約することもたぶん可能だが余りにも詰まらないのでせっかくだから俺はこの虹色の電波を選ぶぜ。